About "distance"

Statements

秋津

互いの生存戦略

デジタルプリント

2020年

 

 

 

コロナ禍になる少し前から、リモートで家から出なくなった。しかし、買い物は1ボタンでできるし、友人とは電話で話したり遊んだりすることができる。生活に劇的な変化はそこまでなかった。

テレビで映される外の光景には現実味がない。でも、近所の公園では人が立ち入らないせいで雑草がたくさん生えていた。そこでやっと、世界の変化を実感した。

そのうち人がこうして、他人を顔を合わせない「閉じられた距離」に慣れ、ふと家の外を見たら、人間を置いて先に進んでいった「自然」が、地球を支配しているのかもしれない。

浅野井 春奈

キューバの風景

ミクストメディア2020年

 

 

 

10年近く前にキューバに旅行に行った時の風景を、いまだによく思い出します。

思い出される風景は時に形を変えて頭の中に再生されます。時が経つにつれだんだんと記憶と私の間に時間としての距離ができていく様子を、彫刻でドローイングするような感覚で制作しました。

Ad Stijnman

Distance 3

ソフトグランドエッチング(黄色のインク)・赤い楮紙摺り金箔(ほぼ純金)/モノタイプ 2020年

 

The red kozo keeps the stripes of goldleaf distant from the impression

of the plate. Just as we have to live now. The print is signed at the

back.

赤い楮紙はストライプ状の金箔と版の摺り(エッチングの線)の間に距離を作っています。私たちが今そのように生きなければならないのと同じように。この版画作品は裏にサインされています。

井澤 由花子

無題と絵画

水彩

2020年

 

 

 

コロナ渦の中、人々は情報の森にバラバラに放り出され、すれ違うことのないよう、木の影に隠れた生活をしていました。

木の葉のようなたくさんの情報を食べ、毒なのか薬なのかもわからないまま、消化不良をおこしながら、この何ヶ月かを生き抜くことを考えました。

私が医療従事者であれば、森を駆け回り、人の役に立てたかもしれません。

実際に、日々奮闘されている方々には、本当に頭の下がる思いです。

さて、自分になにが出来るのか?

考え続けましたが、答えは出ませんでした。

以前私は、息と絵画という作品を描きました。私が絵を描く理由は、呼吸や食事や、子どもの世話をすることと同じくらい、絵を描くことが重要であるからです。

なぜ重要なのか?

森のなかで、自ら描く行為は、自らの場をつくる行為にほかなりません。その絵にはなんの説明もなく、小さなタイトルが添えられているだけです。そのタイトルすら無題だったりしてがっかりしたりします。

私がその場にいなくても、その作品は、その場にあり続けます。ずっと誰にも見られないかもしれない、見てもなにも伝わらないかもしれない。そういう仕事の中で、私は何度か、意味を理解してくれ、感動したり、恐怖したりして下さる方に出逢ってきました。

それだけが、私が絵を描く理由であり、絵と人との距離だけが、私の仕事と人を繋ぐ獣道になっているのです。

石塚 桜子

distance

油彩・ミクストメディア・ボード

2020年

 

 

私にとってディスタンスとは自分がシャボン玉になって一瞬で消えていく儚かなさを思うがゆえの厭世観そのものです。

小久江 峻

一朶の吸息

綿・油彩・木材・アクリル板・その他

2020年

 

 

「生」のありかについて興味がある。それは心と身体がどちらも存在する境界上に宿ると感じる。

これまでの絵画「幾朶の吐息」シリーズでは、綿に絵具をつけ、筆として用い油彩画を制作してきた。

今回の「幾朶の吸息」シリーズでは、その絵画が出来る過程で生まれた油彩を纏った綿をパネルに詰め込み、平面作品を制作している。

両シリーズとも柔らかい筆跡が執拗に重なることで像が飽和し、「生」の感触を空気のように漂わせる事を試みている。

両シリーズは表裏一体、例えるならば「呼吸」のようだ。内から外へ、外から内へと、熱を持った形のないなにかが心と身体の間を行き来する、その狭間にこそ人が生きる営みがあると感じる。

北嶋 勇佑

ジニア

木版モノタイプ(紙・油絵具)

2020年

 

 

3密が唱えられる昨今の世の中。人との距離をとり、どこかぎこちない時間が流れています。そんな中、ふと街角を見るとジニア(百日草)が3密などお構いなしのごとく咲き誇っていました。あまりにも日常に溶け込んだ風景。今だからこそ、この密な状況は私の目を奪いました。

木床 亜由美

ステイホーム

油彩・キャンバス

2020年

 

 

 

制作については、淡々とした日々が過ぎていく中淡々とした作業は出来るのですが、外に出て得る情報が減った為か画面上に登場するモチーフが少なくなりました。しかし同時代的な作品になったとも思います。

また、世の中がリモートで何でも割とこなせるという風潮になっている中やはり油絵は液晶の画面上よりも本物を見て欲しいという思いが強くなりました。自分がマテリアルを扱っているという意識を強く感じています。

健康で制作出来ている事に何よりも感謝しています。

霧生 まどか

クロス

アクリルガッシュ・ジェッソ・色鉛筆・顔彩他

2020年

 

手に取れない距離感で姿を確認することはまるで無人な器だ。気配を見れないことは封鎖される前からあったことだが、こうして日常が封鎖されると余計に感じてしまう。私は昔から山の中にあるぽっかりと空いた空間やビルの屋上にある小部屋に目を引かれよく眺めていた。人の姿は見えないけれど生活の気配が掴めそうな距離感の手触りが好きなのだ。普遍的に巡り続けるもの、不変的であることが川を挟むように同時に在り続けてどちらにも景色がある。互いの顔を見るようにして時には足元を濡らしてもそれが現在の着地点なんだと出会っていきたい。

極楽堂

円相・鯛

桂・黒檀

2020年

 

 

 

否応無く「距離」をもとめられる昨今。

せめて心で「面と向き合う」事に思いいたります。

鯛二尾を、しめ縄で向かい合わせに縛り、神棚に奉納した地域もあり、郷土玩具では和紙の張り子となり、祝い鯛とよばれています。

双魚図との関連も考えられ、国内に収まらずアジア広域にちらばるかたちです。

作品化にあたって、阿吽(あうん)と円相におさめました。

風前のともしびとなった地域のかたちを掘り起こし、現代へと接ぎ木をあてるのが自らの役割の様な気がしているのです。

澤田 重人

散策

油彩・キャンバス

2020年

 

 

 

見えないウイルスによって、沢山の人が死んだ。人の死も、それが直接的でなければ、目には見えない。

集まってはいけない、人と会ってはいけない、外出を控えて家にいるように...。まるで戒厳令のような事態になり、ついでに戦車でも走らないか?そんな事を思いながら、何もせず、家にいた。静かで良い時間だった。予期しなかった事だが、静寂の時が、いとおしい。

雫石 知之

超濃密濃厚接触  「ちんこんにちわ!」

油彩・キャンバス

2020年

 

奪われた幸せを諦めずに取り戻したい。

肉体の触れ合いのない人生は哀しすぎる。

樹乃 かに

ディスタンする?

ペン・クラスター水彩紙・マグネット他

2020年

 

メリーゴーラウンドって楽しい乗り物ですが、ディスタンスな乗り物でもありますね。

どこまで行っても、いつまで乗っても隣の人と近づけない。でもみんなニコニコして回っている。

今の世界もお互い近づけませんが、みんな回る地球の上で暮らしているんですから気持ちはこうありたいですね。

お互いの「距離」って何だろう?この絵の中の住人たちをディスタンス棒で動かして考えて見てください。

近寄ったり、離れたり、一人になったり、集まったり。

愉快なディスタンス棒と、ミニゲーム「socialdisco」も付いてきますよ。

しょうじこずえ

サンライズ

サンセット

布・刺繍糸・木パネル2020年

 

 

意味は、「日は昇り 日は沈む」である。

コロナ禍で人間の世界は目まぐるしく変化しているが、自然界はいつもと何も変わらない。

毎朝オテントサマが昇り、そして沈み、また朝が来る。

春には桜が咲き誇り、初夏の新緑は美しく彩られ、今は紫陽花がとても美しい季節である。

いつもと変わらぬ自然の移り変わりに、私はこの数ヵ月とても救われていた。

以前のように誰かと密に会話をすることが難しくなり、距離を保ちながら過ごす日々の中。

見上げるオテントサマやお月さまは世界どこでも一緒で、同じ一点を見ている。

彼らのおかげで、私は遠い誰かとも繋がりを感じ、心の距離はとても近い所にあるのではないかと感じている。...そんな思いをこの作品に込めている。

新藤 杏子

a planet03

油彩・アクリルガッシュ・パネル

2020年

 

 

4月からの自粛で、我が家では制作場所を家に移し息子と夫とともに6月末まで在宅仕事に移りました。その間、仕事の間を縫って公園にいったり家の周りで遊んだりしていました。その生活は社会の不穏さとは裏腹に穏やかな平和な日常として過ぎて行きました。ひどい不安感に駆られる時もありましたが、その穏やかな生活が基盤にあることで日々を過ごすことができたように思います。

私の作品は営みをテーマにしています。日々のその生活を絵画に落とし込むことで、普段目に止めなかった日常について考えを巡らせていただければ幸いです。

杉﨑 良子

新聞紙のシーラカンス

朝日新聞・アラビックヤマト他

2020年

 

シーラカンスはかつて世界中の海に広く分布していた。現在は人知れず深海で、3億5000年近くも姿を変えず命をつないできた。

一方、人類は、環境を変えながら、その姿を維持してきたが、産業革命で一気に生活面を発展。わずかな時間で住みやすい環境を手に入れた。全ての頂点のようにさえ思ってしまうくらいに。

しかし、今直面している状況から、人類の生き方を見直さなければならないかもしれない。どんなに環境を変えても、人は人の中でしか生きられなかったのだ。

人類はこの問題にどう立ち向かうべきなのだろうか。もはやシーラカンスの方が「進化」を完成していたのかもしれない。変化する環境から距離をとって生きのびたように。

杉山 有沙

Stay...III

ガラス・キルンキャスティング

2020年

 

 

『stay...Ⅲ』こちらは一昨年から制作を続けているstayシリーズの3作目となります。動物の待つ仕草がとても愛おしくて作り始めました。

待て。のコミュニケーションよって現れる対象との信頼感や、緊張感、関係性による、その間に流れる空気感を無機室な物体とそれを見る人の間にも

感じてほしいとおもいます。

そめや まゆみ

Prayer

銅版画

2020年

 

 

 

あなたが、明日も幸せであるよう、祈るだけ。

高梨 麻世

かつての記憶

胡粉地・アクリル・水彩・ミツロウ等

2020年

 

 

普段の何気ない生活の中で食事をしたり、会話をしたりする場所であるキッチン、食卓が距離をとり、注意しながら生活しなければいけない状況。

そこは美味しいものを食べ、会話をし、暖かな空間であるイメージです。

今までのようには活用できないかもしれない。

しかし、距離をとってもその場所の意味は変わらないで欲しい、そんな心持ちで描きました。


竹渕 愛留萌

近くても

遠いからこその 

水彩・紙

2020年

 

 

距離について。という事で、今回は額の距離感でも表現出来ないか?と思い、2点1組で製作しました。

コロナ自粛によって、近くで話せない。面と向かって人と会えない。という事態となりました。

ですが、人とすぐに会って話せない状況になって感じたのは、久しぶりに画面越しなどで人と接した時、今までの生活では感じることの無かった心の繋がりがあるように思えました。

面と向かって話せないからこその濃い時間。

不自由になってから、自由に人と関わる中で交換出来たはずの心の共有の少なさを知り、距離は近くても心の距離が遠い事もあるし、距離は遠くても遠いからこそ、心の繋がりが強固になる事もあるのが不思議に感じたので、それを水彩で表現しました。

ただあやの

咲き時を待つ

岩絵具・画用紙

2020年

 

 

 

物理的距離にしろ心理的距離にしろ、距離を埋めるには時間が必要です。しかし、今回生じた「距離」を埋めるために必要な時間は今現在誰にも分からない状態であり、私を含め多くの方が不安やストレスをいだいています。この「距離」を埋めるための時間を、「距離」が埋まった時の喜びを蓄える時間として、少しでも穏やかに捉えたいという想いから制作しました。

館 泰子

a new sense of distance

< 20 - 01 >

和紙  コウゾ  雁皮 紙こより他

2020年

 

COVID-19 !世界中が想定外の状況下。

信じられない、しかし事実!

私たちの生活環境は大きく変化しました。皆が、大変です。皆が、辛抱です。

見えないウィルスに怯え、萎縮し不安を抱えながらの毎日。そしてこの展覧会の趣旨でもある、私なりの“distance”を考え表現しました。

作品には、私たちと新しい見えないウィルスとの共存・距離感を表現、そして収束の願いを込めました。私たち自身も、外面的な距離感は保ちつつ、内面的な目に見えない心の距離感を大切に ! という日常生活に慣れることでしょう。

“ 新しい生活様式 new normal ”の誕生です。

この機会に私も、新しい技法で挑戦してみました。前向きに!

永尾 知己

Heartfelt Virus

真鍮 1piece/総数50pieces2020年

 

 

一口に距離といってもこころの~、物理的~、身体的~、時間的~など様々。

今改めて距離を考えた時に地球規模で影響を与えているウイルスに着目しないわけにはいかない。

人類とウイルスの歴史は紀元前3000年に遡り、人々はその人知を越える恐怖に怯えながらもそれを乗り越え共存して来た。そして、これからもその関係は続いて行くに違いない。

人と人、国と国をも分断する脅威のパワー。それでも、そのマクロの映像からは造形的魅力を私は感じる。そんなウイルスとこれからも共存して行くためにこのHeartful Virusを贈る。

憎きウイルスから身を守るためのチャーム。身に付けて、常にウイルスを意識し、正しく理解し、適切な自己防衛をする。素材の真鍮は古くからウイルスを抑制すると知られ、使われて来た金属。

これを身につけた人同士が作品を通してこころの距離を縮められることを願って。。。

永岡 杜人

愛の形

鉛筆・紙

2020年

 

 

 

コロナで人と人との距離が離された。

絵の中のふたりは、銃によって引き離された。

それでも、やっぱり、人と人との愛の形は、変わらない。たぶん、永遠に・・・・・。

中嶋 明希

むかいあう

アクリルガッシュ・銅2020年

 

 

 

この作品の原型は、以前2009年に制作しました。ものごとの多面性をテーマに、植物の実だと思っていたものがイモムシに見えてきた、という作品です。

これが今年になって私には見え方が変わってきました。

新型コロナウイルスの感染が日本でも拡がり始めた頃、私は病院で出産をしました。

3人家族になりました。県外に住む両親らに子供の写真や動画を送る日々。黒い画面、黒い枠の中の両親に話しかける日々。その中で、3匹のイモムシが自分の家族のように見えてきました。今の私と世の中との距離感が投影された作品です。元の白いフレームを黒に塗り変えて出品致します。

成田 聡子

離れていても

ガラス

2020年

 

 

 

二つの水面波は水面で出会うと、互いの円を交差しながら進んでいく。

たとえ離れていても人と人の思いもこんな風に交差しながら影響しあっている。

濵田 敬史

隔世 ⅳ

ガラス / バーナーワーク・吹きガラス・接着2020年

 

 

自粛期間中に、車で通りかかった新宿の街。

夕暮れの時間でも歩く人の少なさに寂しさを感じた。

ふと窓を開けてみると本当に静かで、何となく感じていたものが一気に現実に変わった感じがした。ガラスで仕切られた空間は、視覚的に繋がりがったままであるが、匂いや音、空気の冷たさなどは、ほぼ伝わらないため想像するしかない。

そんな体験を経て私は、外出自粛の中で自分のアトリエにある道具を使ってその中のものだけで、作れるものは何かと考えこの作品が生まれた。

人と人の距離を求められる新しい生活様式が始まったが、ガラスを間に挟めばもっと近づくことは出来る。

ガラス越しで相手と、どんなに近くにいたとしても、また離れていたとしても同じ世界にいるという認識を持つことで必要な距離感を考えていこうと思った。

林 明日美

遠くへ近寄る

銅版画(メゾチント)2020年

 

 

 

宇宙を感じるほどの大きな夜空に浮かぶ無数の星に目を凝らすと、星の瞬きや、豊かな色彩にとらわれてしばらく動けなくなる。

ふとした瞬間に、時間も距離も気の遠くなるほど離れているはずの星と自分の距離がわからなくなり、星にぐんと近づいたような気になる。

瞬きをして目をこすると、途端に現実の距離感が戻ってきて地上に引き戻されてしまう。

平林 孝央

岐_∅_皮膚という衣

油彩・パネル・綿布・ジェッソ

2020年

 

好きな対象に近づくためには、好きな対象とはなるべく距離を取るしかない。

きれいな皮膚の下には何もない。風船のように中空である。その中空は欲望を注ぎ込むための空間である。

だから決して血肉のことを考えてはいけない。もし血肉を想起させるような皮膚ならば皮膚だって見るべきではない。

近づきすぎないように細心の注意を払い対象の周りをぐるぐる回る。ずっと見つめていられればそれでいい。

福田 美菜

Born to be Blue (10)

銅版画(メゾチント)

2020年

 

 

この作品は、昨年からつくり始めたメゾチントによる連作です。タイトルのBorn to be Blueには、現代という時代に生きている以上、「Blue」にならざるを得ない人間の一部分という意味を込めています。しかし、そのことはマイナスなことではなく、わたしたちはそういった自分・他者をも許し、包括することができるという希望を持って制作をしています。

船山 佳苗

Three birds flying with you all the time

綿・油彩他

2020年

 

知人が事故に遭い、家族三人を一度に失うという事がありました。

目にその姿は見えなくても、三人はいつも知人と共に在るだろうという私の願いを込めて描いています。

一人で歩いているようでも、温かさのある気配や、かすかな羽音があるという画面です。

この絵のことを知人には言っていません。私がいくら、悼む気持ちを持っていたとしても、その悲しみなどとうてい私が理解し得るものではありませんし、絵の題材にして知人が喜ぶとも思わないからです。その距離を感じていますので、今回の出品作としました。

彼女と私との違い、というよりももっと隔たったものを思います。本来人と人はそういうものだろうとも思っています。

マスダユタカ

Distance in the imaginary world

紙工作

2020年

 

今回の騒動は路上観察家の私にとって大変つらいものだ。歩いてなんぼの私が屋根の下にいたらひとつきで干からびてしまう。というわけで自ずと自分が想像して作り上げた街、過去に行った街の記憶、街の人が語ったことなどをもう一度脳内で路上探査することによって乾きを満たすことになる。脳内の目の前の彼との“距離”は如何ほどのものになるのだろう…。

今回の作品は数年前に名古屋で訪れた、いやそれ以前から時々伺っていた私のお気に入りの洋菓子屋さんがモデル。そのお店の佇まいが一級品だ。私の取材の申し出にご快諾をいただいたのだがその1週間後に閉店してしまい驚いた。

益田 由二

±0

水彩色鉛筆・顔料インク・水彩紙

2020年

 

 

So where do I begin?

松田 路子

6月の距離

陶土焼き〆2020年

 

 

 

 

「あなたの場所はここですよ」

と、ていねいに、しるしがついている。

いたるところで。

あの場所に立つ度、小さなとまどいを感じる。

大抵、しるしの通りに立てない。

前の人がちょっとズレていると、私もちょっと後ろにズレる。後ろの人が、きちんと守っていたりすると、なんだか近いなあ・・・と、思ったりする。

そして、しるしの通りに立てない自分の理由を説明したりして(もちろん、心の中で)

2月、いや3月くらいまでは、レジ前のお互いの距離について等、考えたこともなかった。(と、思う)

いちいち気になっている自分に、「あーあ」と、ため息をついていたら、物干し竿に、小さなカエルたちが、絶妙な間隔をあけて並んでいたのでした。


中村惠一

言語の距離

墨・朱墨・和紙

2020年

 

 

 

今年に入ってから突然に「距離を」と言われる。

たしかに新型コロナは恐ろしい。そんな時だからこそ、本当はお互いの心の距離は縮めたい。日頃、私はメールアートという形式の表現活動を行っている。郵便を使ったコミュニケーション・アートなので、つながりを大切にしているのだが、コロナによって分断されてしまった。多くの国際間郵便が「配達不能」で戻されてきた。今も一部地域とは物流も閉ざされている。

もともと言語によるコミュニケーションの間には距離があったが、ヴィジュアルはそのギャップを越えてくれる。こんな時代だから「ローカルであってコスモポリタン」な精神が重要なのだと思う。

けっして心をとざしてはいけない。

宮田 義廣

Spitz

アクリル、膠水、綿布、木枠

2020年

 

 

タイトルのSpitz(スピッツ管)とは、予防医学において人体から採取した検体を保管するための試験管型容器のことである。

本作品は、検査前に回収され保冷庫内に並べられたスピッツ管の風景を基に描いている。作品に使われている色は検査項目に応じて振り分けられるスピッツ管のふたの色に由来している。例えば赤茶色は生化学、灰色は糖質、紫色は血液、黄色は尿やPCR検査など。

今回はこれを新たな身体の記憶の風景と捉え、アートとして展開させる試みである。

人と人との間に一定の距離が発生した世の中であっても、弛まぬ人間の理解、人体の究明が人類を救う近道であることは変わらない。

三好 百合子

sky en land – een open muziekboek

銅版画・シルクスクリーン/モノタイプ

 

「対話」が重要なテーマのアントワープの教会内での秋の企画展「+kruisbestuiving(受粉)」にオランダ在住イトウチカさんと出品します。違う技法、異なるテーマの中で、それぞれ離れた場所から、実験的共同制作を行っています。日本人が日本で制作した貴重な銅版画「聖家族」(1590年代はじめ)が長崎に保管されているが、その元となったフランダースの銅版画(1584年)からのイメージ、楽譜の本に聖母マリアと聖アンナの手から離れるキリスト。和紙に米粉と赤キャベツによる水性インク、それに油性ゴールドインクの版を重ねた、さまざまな「距離」を感じながらのコラボレーション作品です。

村上 紘一

そらのかけら - i

エッチング・アクアチント

2020年

 

 

キャンバスに油絵具を置いていく仕事は、とても直接的です。キャンバスの上にモチーフの形や色を表していく。

私とモチーフ、画面との距離は限りなく近く、同化してさえいるように感じられます。

その一方で、版画では、画面に直接手を加えることはできません。いくつかの技法を用いて版の上に重ねた仕事が、刷ることによって眼前に現れてくる。一種の遠隔操作とも言えます。

その距離感はもどかしくもあり、自分から離れたところで作品が自律していくようにも思えます。

媒体による距離感の違いが、私とモチーフ、作品の関係を整理してくれます。

そのことが、現実のさまざまな事象と自分との距離を考えるのに役立ってくれるような気がしています。

村瀬 都思

Glowing plants

アクリル・キャンバス2020年

 

 

私にとって絵を描くことはそもそも、どこか遠いものごとに手を伸ばし、引き寄せているような感覚があります。

今回の作品はモチーフを決めず、いろいろなものが下地に描かれた末に植物のようなものが現れました。

昔は植物をかわいがることなどあまりなかったのですが、昨今の状況下でふと植物を育て始め、日々少しづつ成長する姿は、慌ただしい社会とは切り離されているものがこんなにも身近にあったんだな、と感じさせてくれました。

私が植物を観察したときに感じた、ふとした時に心の中にある本来のリズムを取り戻すためのきっかけのようなものに、この絵がなってくれるといいな、と思います。

山内 康嗣

ギフトメモリーズ#19

アクリル・ニス・発泡ボード・キャンバス 2020年

 

私は“見えるもの見えないもの”をテーマにした作品を作っています。

今回は、最近取り組んでいるプレゼントシリーズ作品(幼少期にサンタクロースがクリスマスに持ってきてくれた素敵な想い出)で “見えないもの(コロナウィルス)”を内包してしまおう ! と考えました。

これからの時代は、コロナウィルスと共に幸せな日常を育まねばならないのです。

ヤマダ・マサミ

アマビエとアマビコ

石粉粘土

2020年

 

 

海からあがってきたアマビエと、山からおりてきたアマビコ。

いま2つの妖怪は人間のために全国を征く。

おい、あそこにたくさんいるぞ。

がーす、がーす。

どんどん食べろよ。

がーす、がーす。

人間がいなくなっちゃ、妖怪もあがったりだ。

人の目に見えないコロナウイルスを見つけるアマビエ、

人の目に見えないコロナウイルスを食べるアマビコ。

食べる度にアマビコは赤くなり、見つける度にアマビエは青くなる。

人間が、わるいやつを野放しにするから、厄介が増えるのが、まだわからんのか。

がーす、がーす。

・・・妖怪がいつまでも住める日本に!

山ぶき のり

Contrast of Organic Living

漆・絹・和紙・錫・洋金箔

2020年

 

私のAbout “distance”は「ステイホーム」。遠出に想いを馳せていた移動制限時の新作版画です。

コンセプトは「Contrast of Organic Living・都市環境と有機生命のコントラスト」の絵画表現です。

作品中の生物は生命の象徴、東京の都市風景(主に渋谷区)です。今回は制作プロセスを撮影しながら版画を制作しました。

私の活動内容は「漆と写真を用いた版画表現」、新技法と伝統的な素材で「現代社会」を表わす試みです。

漆での茶道具制作と茶道の経験から、金継で使う麦漆に着目し、漆を用いてウォータレスリトグラフ版画を制作しています。

山本 清

お前と俺の

《 距離 》

インクジェットプリント

2020年

 

「だから言っただろ!コロナなんかそんなに長く続くもんじゃないって !」

「そうかも知れんが、まだ、終わったばかりだろ ?

そんなに近づいて唾を飛ばすなって !」

「馬鹿言ってんじゃねえよ!お前と俺の付き合いはかれこれ50年。ガキの頃からこの距離じゃねえか!」

近い未来の街角にあって欲しい話。

横山 芙実

噂話

岩絵具・雲肌麻紙

2020年

 

 

 

緊急事態宣言下の抑圧された日々の中で、顔の見えない相手と不確かな情報を伝達し合い、下世話な噂話に悦楽を見出す人間を描きました。

渡辺 佑基

アクリル・パネル

2020年

 

 

 

目前に出入口があっても壁があるため真っすぐ進めません。

到達するためには、時には迂回したり回り込む必要もあります。

道を誤れば行き止まりにもなりますが、全ての点を1本の輪で結ぶこともできます。

ZUVALANGA

枯れ葉に紛れるミクロヒメカメレオン

ワイヤー・ガラスビーズ・天然石オニキス他

2020年

 

ZUVALANGAの ‘distance’。

互いの間にある緊張と安心の空気だと思う。

もう一歩を欲張ると、枯れ葉を踏みしめる音で気づかれてしまうような。

その一歩を思い留まると、‘そこにいていいよ’と認めてもらえるような。

互いの存在に気づき、認識した瞬間に現れる流動的な緊張と安心。

互いにとって心地のよい空気を探し、拒絶し合う‘distance’ではなく、認め合う‘distance’を見つけたい。